下野国庁跡は 栃木市南部の国府 (こう) 地区にあった国庁跡です 説明板が2枚ありましたが 左の写真の国庁入口の説明板は次のように書かれています 「国庁とは 大宝律令(701年)により確立した律令国家体制における 地方統治の中核として設置された 国府の中心部にあたる建物です 国府跡については 栃木市内の勝光寺付近説 総社説 古国府説などがあったが 昭和54年夏 同市田村町の宮野辺神社付近で 国庁城が発見されました 約90m四方の国庁内郭には 前殿・東脇殿・西脇殿・南門が配され 前殿の北側の神社境内には正殿(政庁)が存在することは確実であるが 未発掘であります」 ■ 前殿の北側の宮野辺神社 ■ 宮野辺神社の説明板 |
もう一枚の説明板は下の写真です 駐車場にあります その説明文は次のとおりです
本地区は 国府地区の名が示すように 律令制下(奈良・平安時代)における地方統制のための国府(役所)が置かれていました いにしえの香り漂う下野国庁跡は 昭和57年に国の指定史跡となり その保存・整備が進められました また 本地区は 交通の利便性や水や緑に恵まれた自然環境のもと首都圏農業の中核的な役割を果たすとともに 歴史的文化的間今日を背景に古くからの伝統伝承文化が今も受け継がれてすます」 と書かれています
■ 斜め横から見ると |